仏説 摩訶 般若波羅蜜多心 経

お釈迦様が説いた大いなる知恵の完成のための経典、般若心経では釈迦の弟子であるシャーリプトラ(शारद्वतीपुत्रः)に観自在菩薩が釈迦に変わって教えを説く形式で書かれています。

観自在菩薩

サンスクリット語でअवलोकितेश्वर、アヴァローキタイシュヴラ ボーディーサットヴァの漢訳。同じサンスクリット語を鳩摩羅什くまらじゅう三蔵は406年「妙法華経」中に「観世音」と訳し、玄奘は649年5月24日に 「般若波羅蜜多経」の冒頭に「観自在」と翻訳しました。

行深般若波羅蜜多時

観自在菩薩が智慧を完成させるためのすごい修行をしているところに、お釈迦様の一番弟子の舎利子(シャーリプトラशरीषी)が悟りを開いて、この世の苦しみから抜け出すにはどうしたら良いかと訪ねました。

照見五蘊皆空 度一切苦厄

この世に存在する五つの五蘊要素は(色、受、想、行、識)があると、しかもこれらの構成要素がその本性からいうと、実態のないものだと理解し、それら五蘊は空(くう)だと解った。 五蘊とは梵語ではパンチャ・スカンダといわれ、我々の認識の機能を五つの要素に分けて説明したもの。
○色(しき):ルーパ rupa、存在のことで言語では変壊(へんね)の意味もあり、変化して壊れるもの。形を有し、空間を占有するもの。
○受(じゅ):ヴェーダナー vedana、感受のこと。我々の五感が外界からの刺激を感受こと。感覚神経を通って大脳に達し、そこで初めて知覚となる。
○想(そう):サンジュニャー sanjuna、想とは感覚内容のこと。知覚の統合によってできた表像(存在)。
○行(ぎょう):サンスカーラ sanskara、行とは、行為、行動のこと、精神作用ではなく実践行動そのもの。
○識(しき):ヴィジェニャーナ vijnana、識とは認識のことであり、また認識の内容としての知識のこと。認識は色→受→想→行→識の過程を経て成立するもの。

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

舎利子(シャーリプトラよ、「空(くう)」とは実体がないという意味で、色(しき)と空(くう)が同じということは、この世のあらゆるものや現象には実体がないのです。
色(しき)は空(くう)にあらず、空(くう)は色(しき)にあらず、色(しき)すなわち空(くう)なり、空(くう)すなわち色(しき)なり。
「空」はカラとか虚しいとかの意味ではなく、目には見えないが実在するもの、宇宙であったり、電波のように目には見えなくても実在しています。
○空(くう)とは目には見えないが実体として存在する、空気、電波、音や匂い、味など。
○色(しき)とは目に見えるもの・実体のあるもの。
形あるものは空にほかならない、といって空であるからこそ、形ある一瞬を生きているのです。

受想行識 亦復如是 

私達の心もまた空(くう)なんです。

舎利子 是諸法空想

シャーリプトラよ、この世のあらゆることは空(くう)なんだよ。

不生不滅 不垢不浄 不増不減

「この世のあらゆるものが空なんだから、私達の心も体もない。だから生まれることも減ることもない、汚れることもきれいになることもない、増えることも減ることもない」

是故空中 無色無受想行識

観自在菩薩はシャーリプトラにもう一度「この世のあらゆるものは空(くう)だから、生まれることも減ることもない、汚れることもきれいになることもない、増えることも減ることもない」と繰り返し説明している。

無眼耳鼻舌身意 無色声味触法

この世のすべてが空だから、私達の体についている眼、耳、鼻、舌、体、心はない。またそれらで感じる色(いろ)、声、音、香り、味、触感、心で感じるものもない。
般若心経では「無」という言葉がよく出てきます。「無」の本当の意味は「真実」という意味です。生まれる前の真実の姿に戻り煩悩という名の炎を鎮めようとの意味。

無限界 乃至 無意識界

この世で眼に見えるこの世界も、心もないんだ。

無無明 亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽

人生の究極の苦しみがなくなることがなくなったり、と観自在菩薩はお釈迦様の説いた四つの昌真理、四諦(苦諦、集諦、滅諦、道諦)という教えを否定している。

無智亦無得 以無所得故

なぜならそのお釈迦様が説いた苦しみから逃れる方法自体がないのだから「無苦集滅道」の部分を強調していいるところ。それは完全に否定したのではなく「空(くう)」というこの世の最上級の教えがあるからこそ、お釈迦様の言った言葉だっていうことを言っています。そもそもそんな方法があるのなら、この世の人がみんな幸せになっているはず、でも実際幸せになっている人がいるのも事実です。

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙

「菩薩は智慧を完成させているので、心を迷わすものがない」「空(くう)」という理念をマスターしているので、人生の苦しみに悩むことももはやないのです。でもこの四諦の教えに固執してしまい、本来の「智慧の完成」という目的が見えなくなってしまい、智慧の完成ができなくなります。

無罣礙 無有恐怖

智慧を完成させたのなら、心を迷わすものがなく、恐れることは何一つない。

遠離一切 顛倒夢想

あらゆるネガティブな感情を生む、悪い妄想はしないようになる。何が起こるかわからないから、心を迷わすような感情が湧き上がってきます。現実には何も起こっていないのに、苦しみを感じてしまいます。

苦境涅槃

苦しみから開放された安らかな境地にたどり着く。

三世諸仏 依般若波羅蜜多故

様々な仏様や菩薩様たちは、言葉で表現される智慧ではなく、本当の智慧が理解出来、それを拠り所としている。智慧の完成とはどんなものかを知るべきだ。

得 阿耨多羅三藐三菩提

完全なる悟りを得て、苦しみから開放されている。
anuttara sammyak-sambodhi.アーヌッターラ(無上の)・サムヤク(正しい、完全な)・サムボーディ(悟り)(サンスクリット語で書かれた般若心経を音写しているので、漢字そのものには意味はありません。)

故知般若波羅蜜多

ゆえに、真実に目覚める教えは、

是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪

智慧の完成のための計り知れない力を持った、他に比べるものがないほどのご真言である。ご真言というのは、サンスクリット語でマントラと言い、唱えるだけで様々な効果をもたらしてくれる呪文です。
「これは大いなる霊力を持った言葉であり、明らかなる言葉であり、この上もない言葉であり、他に比類の無い言葉である」という意味。呪はサンスクリット語のマントラで、真言、真実にして偽りのない言葉という意味。

能除一切苦 真実不虚

すべての私達の苦しみを取り除いてくれる、偽りのない真実である。

故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

菩薩は最強の智慧を完成させる上で、次のように教えられたのです。

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

ぎゃーてい ぎゃーてい はらぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじぃそわか
ガテー ガテー パーラガテー パラサンガテー ボーディ スヴァハー
往ける者よ 往ける者よ 彼岸に往ける者よ 悟りよ 幸あれ
☆この部分もサンスクリット語の音写なので、漢字そのものには意味はありません。

般若心経

プラジュニャーパーラミター フリダヤ スートラ (智慧を完成させるための核心の経典)
経典に書かれていない最後の言葉 サパープタム(悟りが完成終了)
般若波羅蜜多の漢訳について サンスクリット語では「プラジュニャーパーラミター」ですが、お釈迦様の出身地ではパーリ語が使われていました。パーリ語で般若波羅蜜多は「パンニャーパーラミター」と言います。
般若心経を心の拠り所としていた有名人 John Lennon,Stive Jobs.