仏説 摩訶 般若波羅蜜多心経ぶっせつ まか はんにゃはらみったしんぎょう 仏説(ブッダが説いた・ヴァーシャ)・まか(偉大な・マハー)・はんにゃ(智慧・プラジュニャーまたはパンニャー)・はらみった(完成・パーラミター)・心(核心・フリダヤ)・経(経本・スートラ) |
仏説とはお釈迦様が説いた教え、摩訶とは偉大なという意味。般若とは智慧(悟り)という意味、お釈迦様が喋っておられた
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観自在菩薩 業深般若波羅蜜多時かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみたじ |
観自在菩薩(キタイッシュボラ・ボーディ・サットヴァअवलोकितेश्वर)が智慧を完成するための修行をしているところへ、釈尊の智慧第一の弟子、 舎利子(シャーリプトラ)が智慧を完成させるってことは一体どう言うことですか。と訪ね、観自在菩薩が舎利子にその方法と仏教の真髄 である「空」の思想を解説する形で書かれています。菩薩というのは既に智慧を完成させていて、仏になれるだけの知識があるのに仏にならず、 衆生と呼ばれる苦しみ戸惑う私達を救ってくださる有り難い存在なのです。 その菩薩が修行中に次のようなことに気づいたのです。 |
照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう |
私達の身体や心を作っている五蘊とは「色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)」はすべて「空」だと悟った
ということです。 「空」とは普通「無」とか「から」とか「虚しい」と表現されますが、仏教では眼には見えないが確かに存在するもの、例えば「空気」「音声」 「匂い」「味」「温度」「知識」とか言うもの、今風に言えば「ソフトウエア」とか「データ」などは確かに眼には見えても触れることは出来ないが、しっかりと存在 します。「色(しき)」とは、目に見えるもの、触れるものすべて「空がソフトウエア」に対して「色はハードウエア」にも匹敵するもの。それらのすべてが「空」である と見抜いたのです。すべては無常と言って「常には存在しない」つまり、今形あるものはいつかは壊れて失われるもの、命あるものはいつかは滅びていくものです。 |
度一切苦厄 舎利子どいっさいくうやく しゃりし |
舎利子さん、五蘊があるばかりにこれすべて「苦」であり、その五蘊も「空」だとわかった今、この世のありとあらゆる苦しみから開放されたのです。 仏教では「空」というのは大事な言葉であり、最大のテーマなのです。 |
色不異空 空不異色しきふーいーくうくうふーいーしき | 「色は空に異ならず、空は色に異ならず」 |
色即是空 空即是色しきそくぜくうくうそくぜしき |
「色は空なり 空は色なり」「空」も「色」も同じで、どちらもあるといえばある、無いといえば無いという性質で、どちらもいずれは消えゆく物。
「色と空とは同じものという意味」とはこの世のあらゆるものや現象はすべて実態のないものです。 「色(しき)」とは目に見えるもの、触れられるものすべて、しかしいずれは壊れたりして無くなる物。 「空(くう)」とは目に見ないし触る事もできないが、しっかりと存在するもの「空気、音、匂い、味、知識、思考など」。 |
受相行識 亦復如是じゅうそうぎょうしき やくぶにゅぜ |
私達の心、意識、意思、知識、思想なども空なんです。「受」は眼、耳、鼻で感じること。「想」は外から入ってきた情報を脳で判断すること。「行」はそれらの情報に対して行動を起こすこと。 「識」は眼、鼻、耳、身体から入ってきた刺激に対して、それが何なのかを理解すること。 |
舎利子 是諸法空相しゃりし ぜしょうほうくうそう |
舎利子さん、この世のあらゆることはすべて空相であると理解した時、あらゆるものへの執着やとらわれから離れることが出来、こだわりのない爽やかな生き方が生まれる。 |
不生不滅 不垢不浄 不増不減ふうしょうふうめつ ふうくふじょう ふうぞうふうげん/p> |
この世のあらゆるものが空だから、生まれることも減ることもない。汚れることもきれいになることもない。増えることも減ることもない。 そもそも全部が実態のない「空」だから、産まれたり減ったりという現象もないと言うこと。 |
是故空中 無色無受想行識ぜこくうちゅう むしきむじゅうしょうぎょうしき |
先述べの、この世のすべてが空だから、私達の心も体もない。色即是空 空即是色を表現を変えて説明しているところ。 |
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法むげんじびぜっしんい むしきしょうこうみぞくほう |
すべてが「空」だから、私達の身体についている眼、耳、鼻、舌、体、心はない、またそれらを通じて感じる色(物体)も音や声、香り、味、感触など心で感じるものもすべてが「空」だということ。 |
無眼界 乃至 無意識界むげんかい ないし むいしきかい |
「無限界」とは「眼耳鼻舌身意(六根)」と「無色声香味触法(六境)」のとこを意味していて、六根と六境を足して十二処と言い、この十二処を「限界」とまとめています。 (界の中に眼耳鼻舌身意無色声香味触法が込められている)。そして「無意識界」と言うのは、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識という言葉をまとめていて、要は心の動きも空だから実態がないと言っています。 |
無無明亦無無明尽むむみょうやくむむみょうじん |
「この世のあらゆるものが空と分かれば、人生の苦しみの原因が無くなったり、苦しみの原因が無くなることが無くなったり、」「無無明・煩悩、迷いがない」 |
乃至 無老死亦無老死尽ないしむろうしじんむろうしやく |
「人生の究極の苦しみが無くなったり、無くなることが無くなったり」という意味です。「苦しみが無くなったり、無くなることが無くなったり」とは随分矛盾した表現ですが、私が思うに「元々老いとか死は人間の目から見た概念であって、実際にはどちらも「空」ということです。 |
無苦集滅道むくしゅうめつどう |
お釈迦様が説いた四つの心理とは四諦(したい)と言い「苦諦・集諦・滅諦・道諦」という「この世の苦しみから開放されるために知るべき、苦しみの原因と考え、苦をなくす方法」の事。 この四諦はお釈迦様が智慧を完成させた後、一番最初に教えを説いたときに言ったものとされ、仏教の基本中の基本の教えなのです。 |
無智亦無得 以無所得故むちやくむとく いむしょとくこ |
結局あらゆることが空だから、お釈迦様が説いた教えを得ようと思っても、その得ようと思う対象が無いのです。 |
菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙ぼだいさった えはんにゃはらみたこ しんむけいげ |
「菩薩は智慧を完成させているので、心を迷わすものがない」観自在菩薩を含む、苦しみから開放された安らかに生きる世界を目指して修行する菩薩たちは、「この世のあらゆることが空」という智慧をマスターしているので、心に迷いをもたらし、人生の苦しみにに陥れてくる事はもはやないのです。 |
無罣礙故 無有恐怖むけいげこ むうくふ |
心を迷わすものというのは、生死や善悪の意識など心を縛ってしまうような何かと言う事。けどこの世のものが空だと分かれば怖い存在だってもはや無いのだという事。 |
遠離一切 顛倒無想おんりいっさい てんどうむそう |
智慧を完成させたなら、あらゆる現実的な感情を生む悪い妄想はしなくなる。「なにが起こるかわからないから、心を迷わす人生の根本的な原因は「無明(迷い)」つまり、「知らないこと」ということです。 |
究竟涅槃くうぎょうねはん |
涅槃(悟りを開いた、苦しみから開放された安らかな境地)にたどり着くための考え方と方法を教えてくれています。要は涅槃は仏教の教えを取得した最終段階なのです。 |
三世諸仏 依般若波羅蜜多故さんぜしょぶつ えはんにゃはらみたこ |
様々な仏様や菩薩さんたちは、言葉で表現される智慧ではなく、本当の意味の智慧が理解でき、それを拠り所としているという意味。三世というこのは、過去現在未来の三つの世界を意味していて、それらの世界にいらっしゃる仏様や菩薩さんについてのお話です。 |
得 阿耨多羅 三藐 三菩提とくあーのくたら さんみゃく さんぼーだい |
サンスクリット語の「ア―ヌック・ターラー・サムヤック・サムボーディー」の音訳。「この上もない、正しく平等な目覚め・完全なさとり」の御真言。 |
故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみた |
人々は苦しみから開放サれるのだから、智慧の完成とはどんなものか知るべきだ。 |
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむとうどうしゅ |
知恵の完成とは、計り知れない力を持った、他に比べるものがないほど最上の御真言なのです。真言とはサンスクリット語でマントラと言い、唱えるだけで様々な効果をもたらしてくれるという呪文のこと。 |
能除一切苦 真実不虚のうじょういっさいく しんじつふこ |
最高の御真言は、すべての私達の苦しみを取り除いてくれる、偽りのない真言である。 |
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰こせつはんにゃはらみたしゅ そくせつしゅうわつ |
智慧を完成させる上で、次のようなに教えられたのです。 |
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶ぎゃーてい ぎゃーてい はらぎゃーてい はらそうぎゃーてい ぼーじーそわか |
サンスクリット語では「ガテー ガテー パラガテー パラサンガテー ボージースヴァハー」この部分は般若心経のなかで一番大切な御真言なので 訳さずに。 |
般若心経はんにゃしんぎょう |
「般若心経」はサンスクリット語では「プラジュニャパーラミター フリダヤ スートラ」、お釈迦様が喋っておられたパーリ語では「パンニャーパーラミター フリダヤ スッタ」といいます。 |
नागार्जुन ナーガールジュナの中論 |