仏教とヒンドゥー教の違い

〜 ヒ ン ド ゥ ー 教 と は 〜

古代インド発祥の二大宗教である仏教とヒンドゥー教の違いを説明するには、紀元前3000年頃に起こったインダス文明に遡ります。
中国では黄河文明、日本では縄文式時代が始まった時代でもあります。

紀元前1500年ごろにインド。アーリア人がパンジャーブ地方に進入し、東進してバラモン{Brahmanism}の宗教・文化を確立し、
バラモン階級を頂点とする4階級からなる四姓制度(カースト制度)を発達させた。

紀元前1200年ごろ成立したリグ・ヴェーダー(古代インドの聖典であるヴェーダの一つ。サンスクリット語の古形であるヴェーダ語
で書かれた全10巻、1028編の讃歌)。

バラモン教(Brahmanism)とはインド土着の諸要素を吸収し大きく変貌してくる「ヒンドゥー教」と区別するための西洋学者が与えた
呼称。

バラモン教(婆羅門教)はその邦訳語。
広義にヒンドゥー教という場合にはバラモン教も含んでいる。

その宗教の本質は多神教で、「リグ・ヴェーダ」に始まる宇宙の根本原理の探求はウパニシャッド(奥義書)においてこの頂点に達し、
梵我一如(ぼんがいちにょ)の思想が表明されるに至った。
梵我一如(ぼんがいちにょ、梵: तत्त्वमसि, tat tvam asi、汝は其(そ)れなり)とは、インド哲学(ウパニシャッド哲学)において、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること[1]、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドのヴェーダ(ウパニシャッド)における究極の悟りとされる。 宇宙の全てを司るブラフマンは不滅のものであり、それとアートマンが同一であるのなら、当然にアートマンも不滅のものである[1]。すなわち個人の肉体が死を迎えても、アートマンは永遠に存続するということであり[1]、またアートマンが死後に新しい肉体を得る輪廻の根拠でもある。

またウパシャニッドで確立された業、輪廻、解脱の思想は、インドの思想・文化の中核となったばかりか、仏教ともにアジア諸人族に
深く広い影響を与えた。

ヴェーダの神々の中には、帝釈天や弁財天のように日本で崇拝されているものもある。

アーリア人達が作った階級制度「カースト制度:ヴァルナ」とは

バラモン・婆羅門儀式を行える司祭階級、ブラーフマーナ
クシャトリア・刹帝利王や貴族など武力や政治力を持つ「王族」「戦士」
ヴァイシャ・吠舎一般庶民として様々な職業に就ける
シュードラ・首陀羅奴隷階級、労働者
アウトカースト・不可触民アチューととも呼ばれカースト制度にも入れない人々

人は皆平等という思想を展開する仏教が広まったときに、一時的に衰退を見たヒンドゥー教ですが、その後グブタ王朝によって
復興されました。

ヒンドゥー教バラモン教には、日本の神道と同じように開祖はありません。

〜 民 族 宗 教 と 世 界 宗 教 〜



ヒンドゥー教やバラモン教は民族宗教ですが、仏教は世界宗教です。
民族宗教というのは、神道やユダヤ教のように、特定の民族だけの宗教です。
それは、民族の誕生神話や社会制度に深く結びついているので、他の民族にはとても受け入れられないからです。

神への儀式や祈りを中心としたはいますが、そうした宗教的な部分だけでなく、生活や文化、社会制度のすべてでした。
その一つが身分制度です。

生まれつきヒンドゥー教ではない他の宗教の人がヒンドゥー教に改宗することはできますが、そうすると身分は一番下の
シュードラーにしかなれません。

だから、ヒンドゥー教を信じている人は、現代では10億人いると言われていますが、生まれつきヒンドゥー教の民族が
10億人いるということです。

それに対して仏教は、いつでもどこでも成り立つ普遍的な真理が教えられているため、民族の誕生神話もなく、時代も社会制度
も問いません。
そのため、現代社会では仏教を信じている人は5億人といわれますが、中国や韓国や日本、スリランカや東南アジア、チベット、モンゴル、
最近ではアメリカやヨーロッパなど、世界中のたくさんの民族に受け入れられています。

〜 世 界 観 (宇 宙 の 始 ま り) 〜


アーリア人の宗教は、捧げ物や生贄を火で燃やす儀式を行い、神に祈って幸せを願うというものでした。

バラモンたちは、独占的な専門知識としての儀式や呪文を腹圧にしていき、それを整理してまとめたのが「ヴェーダ(吠陀)です。
「ヴェーダ」というのは知識という意味です。

この時代にはまだ文字はないので、口伝でつたえられました。
ヴェーダには、
リグ・ヴェーダ(神への讃歌)
サーマ・ヴェーダ(歌詠)
ヤジュル・ヴェーダ(祭司)
アタルヴァ・ヴェーダ(呪法)
の4種類があるので、四吠陀といわれます。

これらのヴェーダは、文字ができてからも、インドの伝統として文字に書かれず、口頭で暗証して伝えられたので、文字に書き残されたのは、
16世紀のものです。

その中で、様々な宇宙創造神話が語られています。
ほぼ共通するのは、唯一最高の神が宇宙を創造したということです。
その最高の神は、原人とか、一切を創造した者とか、原初の水が最初の胎児をはらみ、その胎児から一切が生まれます。

『リグ・ヴェーダ』の原人の場合は、最初は卵の中に眠っています。やがて目ざめて、世界が発生します。
その原人の口がバラモンになり、両腕がクシャトリヤになり、両モモがヴァイシャになり、両足がシュードラになります。

ヴェーダではありませんが、紀元前後にできた『マヌ法典』では、まず何の原因もなく存在する宇宙精神がまず原初の水を生み、
種をまくと金の卵となり、そこにブラフマーが現れます。
ブラフマーは、宇宙精神の変化です。
1年後に卵を割って世界と生命、森羅万象を作り出します。

このような宇宙創造神話が信じられていた時代でしたが、仏教では「因果の道理」を根幹として宇宙創造は否定されています。

因果の道理とは、「すべての結果には必ず原因がある」ということです。 この因果の道理を認めますと、宇宙を想像した神がいた場合、
「その神の原因はなんですか?」と問われたとき答えられません。

仏教では宇宙を想像した神もなければ、宇宙の始まりもありません。「無始無終」といわれ、世界は始まりのない始まりから、
終わりのない終わりへと続いています。

バラモン教(ヒンドゥー教)では、一切を創造した神が世界や生命を造ったのですが、仏教では、世界も生命も無始無終です。

〜 差 別 と 平 等 〜


『ヴェーダ』ができてくると、それを補助する社会規範をまとめた法典が作られました。
その中でも最も完成度が高いとされるのが『マヌ法典』です。

『マヌ法典』では、『リグ・ヴェーダ』による世界創造神話を出して、最高神の口からバラモン、腕から王族(クシャトリヤ)、
モモから庶民(ヴァイシャ)、足から奴隷(シュードラ)が生じたと説きます。

ところが、このシュードラが全体の60%、さらにその下に不可触民を作り、それが25%もいます。 合計すると、全体の85%は奴隷以下です。

このうち、全体の15%のバラモンとクシャトリヤとヴァイシャの3つだけをアーリヤと呼ばれるので、その下に位置づけられた85%の人々は
シュードラー(奴隷階級)以下でおそらく先住民だろうと言われます。

この生まれつきの4種類の身分差別をインドの言葉では「ヴァルナ」、英語では「カースト」、日本語では「四姓制度」などといわれます
この身分差別は、生きている間は、変えることができません。

異なる身分の人とは食事も結婚もできません。
この4つの身分には、職業によるたくさんの階級差別がありますが、職業も変えることはできません。
そのため、身分の低い人の自殺を助長することにもなりました。

また、女性も『ヴェーダ』を学ぶことはできず、シュードラと同じ身分とされました。
『マヌ法典』は大変な男尊女卑で、女性は不浄で邪悪であるとされ、娘時代は父に従い、結婚すれば夫に従い、夫が死ねば子に従う、
「三従」が教えられています。

妻はシュードラと同じなので、アーリヤ人の夫と一緒に食事をすることもできず、ただ給仕をするだけでした。
また、夫が死んでも再婚は許されず、あとを追って死ぬ殉死の風習もあります。

ところが仏教では、このような厳しい身分制度の社会にあって、すべての人は平等であると教えられています。
このことは「雑阿含経」にこう説かれています。
かくの如き四姓はことごとく皆平等なり。何の差別かあらん。
まさに知るべし。大王、四種姓は皆ことごとく平等にして、勝如差別の異あることなし。

〜 バラモン教(ヒンドゥー教)と仏教の7つの違い 〜

No.項目バラモン教(ヒンドゥー教)仏 教
時代性時代によって内容が変わる時代を超えても変わらない
地域性社会規範と伴う民族宗教社会規範を超えた世界宗教
世界観世界は神の想像したもの因果道理に従って無始無終
差別激しい身分制度と男尊女卑すべての人は平等
宇宙創造の神を始めとする神々神は輪廻する迷いの衆生
運命の作られ方神への供養の儀式自分の行い
人生の解決 ※梵我一如(ほんがいちにょ) ※諸法無我を前提とした生死解脱

※梵我一如(ほんがいちにょ)・・宇宙を支配しようとする原理と我(アートマン)個人を支配する原理が同一であること。
※諸法無我を前提とした生死(しょうじ)解脱・・生まれて死ぬまで生死(しょうじ)の一大事を解決するものである。
仏教年譜と日本の歴史

    
色 即 是 空