「空」शून्य(シューニャ)または शून्यता(シューニャター) |
---|
「空」は、仏教思想において最も重要な教えの一つである。 「空」はしばしば、なにもない「無」という言葉と混同されがちですが、 固定的実態がないといういみであり、存在が「無」ではないということが大切です。 「空」は目には見えず、触れることも出来ないものですが、空気、音声、匂い、 意識、知識、味覚、愛情、悩み、憎しみやその他精神的な苦しみなど「煩悩」と言われるものなど。 ないように見えて、実はしっかりと存在しているもので、生きていく上で大切なものも含まれています。 仏教でにおける「空(くう、sunya{シューニャ}または、sunyata{シューニャター}とは、 一切法は因縁に寄って生じたものだから我体・本体・実体と称すべきものがなく空しいこと。 空は仏教全般に通じる基本的な教理である。 原語はサンスクリットの形容詞シューニャ(sunya),名詞形はシューニャター(sunyata)で、後者は「空なること」 を意味するため。しばしば空性と漢訳される。 インドに2〜3世紀ころ在世し、「般若経」を中心に空の哲学を大成したनागार्जुन・ナーガールジュナ(龍樹)は、 縁起思想にもとづいて「空」を理解した。 この絶対的、実体的存在(自性(じしょう))が無いことを「空」という。すべては空であって、夢・幻の如きもので ある。本来、聖でも俗でもないものを、聖とか俗とか判断するのは、私の心の区別、分別作用である。聖も俗も言語上 の区別にすぎず、空という点では両者は不二である |