Nāgārjuna:ナーガールジュナという人物について

2世紀に生まれたインドの僧、漢訳では「龍樹:りゅうじゅ」梵: नागार्जुन、中観派の祖であり、蓮如意義の浄土真宗では八宗の祖師と称される。
龍猛(りゅうみょう)とも称される。
鳩摩羅什(くらまじゅう)訳「龍樹菩薩伝」によれば南インドのバラモンの家に生まれ。幼くしてヴェーダ(紀元前1000年〜紀元前500年頃
の宗教文書)を読みその意味を理解した。
中インドのナーランダ僧院でバラモンの学問を修めた後出家した。
龍樹は出家した者しか救われないという部派仏教(小乗仏教)を否定し、大乗仏教を創始したとしている。
鳩摩羅什(くらまじゅう)によるナーガールジュナの「龍樹菩薩伝」の伝説は以下の通り。

天性の才能に恵まれていた龍樹はその学識をもって有名となった。龍樹は才能豊かな3人の友人を持っていたが、
ある日互いに相談し学問の誉れは既に得たからこれからは快楽に尽くそうと決めた。彼らは術師から隠身の秘術
を得、それを用い後宮にしばしば入り込んだ。100 日あまりの間に宮廷の美人は全て犯され、妊娠する者さえ
出てきた。この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により
3人の友人は切り殺されてしまった。しかし、王の影に身を潜めた龍樹だけは惨殺を免れ、その時、愛欲が苦悩
と不幸の原因であることを悟り、己の馬鹿な欲望のため、大切な友人を殺させてしまったことに後悔しもし宮廷から
逃走することができたならば出家しようと決心した。

事実、逃走に成功した龍樹は山上の塔を訪ね受戒出家した。小乗の仏典をわずか 90 日で読破した龍樹は、更
なる経典を求めヒマラヤ山中の老比丘からいくらかの大乗仏典を授けられた。これを学んだ後、彼はインド中を
遍歴し、仏教・非仏教の者達と対論しこれを打ち破った。龍樹はそこで慢心を起こし、仏教は論理的に完全で
ないところがあるから仏典の表現の不備な点を推理し、一学派を創立しようと考えた。

しかしマハーナーガ(大龍菩薩)が龍樹の慢心を哀れみ、龍樹を海底の龍宮に連れて行って諸々の大乗仏典を授
けた。龍樹は 90 日かけてこれを読破し、深い意味を悟った。

龍樹は龍によって南インドへと返され、国王を教化するため自ら応募して将軍となり、瞬く間に軍隊を整備した。
王は喜び「一体お前は何者なのか」と尋ねると、龍樹は「自分は全知者である」と答え、王はそれを証明させる
ため「今、神々は何をしているのか」と尋ねたところ、龍樹は神通力を以って神々と悪魔(阿修羅)の戦闘の様子
を王に見せた。これにより王をはじめとして宮廷のバラモン達は仏教に帰依した。

そのころ1人のバラモンがいて、王の反対を押し切り龍樹と討論を開始した。バラモンは術により宮廷に大池を化作し、
千葉の蓮華の上に座り、岸にいる龍樹を畜生のようだと罵った。それに対し龍樹は六牙の白象を化作し池に入り、
鼻でバラモンを地上に投げ出し彼を屈服させた。

またその時、小乗の仏教者がいて、常に龍樹を憎んでいた。龍樹は彼に「お前は私が長生きするのはうれしくない
だろう」と尋ねると、彼は「そのとおりだ」と答えた。龍樹はその後、静かな部屋に閉じこもり、何日たっても出
てこないため、弟子が扉を破り部屋に入ると、彼はすでに息絶えていた。
ナーガールジュナ・「中論」

龍樹の死後 100 年、南インドの人たちは廟を建て、龍樹を仏陀と同じように崇めていたという。

大乗仏教とは


大乗仏教:梵: महायान,(マハーヤーナ)伝統的ユーラシア大陸の中央部から東武にかけて進行されてきた仏教の宗派。
大乗とはサンスクリット語のmaha-yanaの訳。大乗とは偉大な教え、優れた教えを意味している。パーリ上座部の文献や
スリランカの史書に出てくる方等部(ほうとうぶ)あるいは方広部(ほうこうぶ)という言葉は大乗を指していたと推定される。

その発端は、部派仏教への批判的見地から起こった側面があり、つまり、自らが悟りを開いて「阿羅漢(あらかん)」となることを
目的した姿勢を「利己的」と批判し、「(少数しか救われない)小乗仏教」とさげすんだのである。大乗仏教は普通名詞の「仏」
(目覚めた人の意味)を目指したとも言われる。

大乗仏教を体系化したのは、2世紀から3世紀に活躍したナーガールジュナ(龍樹)であり、大乗仏教の基盤となる「般若経」で
強調される「空」の概念を説明し、諸宗派に影響を与えた。

小乗仏教とは、人を救うにはまず自分が救われなければならないという利己的な発想で、小乗(小さな乗り物)
で自分が救われたあと他人のことはどうでもいいという考え方の人もある。
それに対して、大乗仏教は(大きな乗り物)ですべての生きとし生けるものすべてものが救われなければならないという釈迦の基本的教え。

仏教年譜と日本の歴史