次郎長を投げ飛ばした男

〜浪士取締役で柔術も抜群〜

窪田治部右衛門(くぼたじぶえもん)
次郎長を投げ飛ばした武士がいる。明治になってからの話で、投げ飛ばしたと伝えられるのは窪田治部右衛門という人物。

移住幕臣の一人であり、清水市駒越の駿河湾を見下ろす万象寺の墓地に眠っている。子孫に当たる作家広津和郎が「おもいで」
と題する随筆にそのエピソードを書き残している。

「その老人(窪田治部右衛門)は何かのことで次郎長の子分の若い者を叱りつけた。そのことで次郎長がその老人の邸宅に
やって来たというので、因縁をつけに来たのだろうと思った。

次郎長が庭から入ってきて、縁側に腰を掛けて、老人になにか言い始めた。と、老人が 「無礼者!」と叫びながら縁側に
飛び出したかと思うと、次郎長の身体が庭にもんどり打ってひっくり返ったというのである。

普通ならここで次郎長が反撃に出て喧嘩になるところですが、ところが次郎長もさる者で、ひっくり返りながら、にこやかに
起き直って「や、これはわっしが悪うござんした」とか言って、今度は庭の土間に両手をつきながら、再び交渉を開始した
のです。そこで話は円満に解決したそうである。

次郎長は山岡鉄舟、関口隆吉はじめ多くの幕臣とつきあったが、このエピソードは異色のものであった。

文久3年といえば尊王攘夷の嵐が吹き荒れた時期。幕府は毒を以て毒を制する手法を踏んで諸国の浪士を集め浪士組を結成、
暴徒を制圧しようとした。その浪士組の取締に抜擢されたのが、山岡、高橋、松岡、中条、窪田らで、いずれも剣を持たせたら
飛び抜けて腕の立つ者ばかりである。それでなければ暴れ馬を制することなどできはしない。
治部右衛門は清川八郎暗殺事件のあと、「お役御免」となるが間もなく復活し、九州日田(大分県)の代官をつとめて明治維新を迎える。

ところで投げ飛ばした治部右衛門と投げ飛ばされた次郎長は、その後すっかり仲が良くなり、明治12年にアメリカ大統領
グラント将軍が清水港に来航したとき、地元を代表して二人は共に接待を受けた。
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上記記事の出どころ、「次郎長翁を知る会」・静岡異才列伝・次郎長を投げ飛ばした男」より抜粋

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