〜山岡鉄舟が次郎長から学んだこと〜

山岡鉄舟

言葉は相手のためにこそ。山岡鉄舟が清水次郎長から教えられた真の「頭の良さ」とは?

よく「頭がいい」といいますが、その定義は人によって様々です。難しい問題が解けたり、いろんなことを知ってたり、
ここ一番と言う時によい知恵を捻り出したり・・・いずれも「頭がいい」と思いますが、それだけでは今一つ足りません。

今回はその一つが何なのか、考えさせられるエピソードを一つ。

明治元年、咸臨丸の事件をきっかけに山岡鉄舟と
清水の次郎長が意気投合して、個人的に親しく付き合う様になったことは他ページでご存知のことですが、
幕府軍の兵士の遺体を官軍のおふれに背いて、次郎長が子分を使って引き上げ向島の砂浜に埋葬した時、新政府軍に咎め
られた次郎長は「人間うっ死(ち)にゃ誰もが仏、仏に官軍も賊軍もねぇずら」と毅然たる態度で突っぱねます。

それを知った山岡鉄舟は「近年まれに見る気骨の士である」と次郎長を賞賛、得意の筆で「壮士墓(そうし=立派な男の墓)
と揮毫しました。
さて、そんなことから始まった鉄舟と次郎長の付き合いですが、鉄舟にとって次郎長は「学問を超えた智慧」の持ち主であり、
その臭覚と直感に少なからずと影響を受けた様です。

二人が付き合ってまもない頃、次郎長がこんなことを言いました。
「よぅ先生。オラァ先生がみんなから『てぇしたもんだ、立派なもんだ』なんていわれているが、いざこうして付き合って
みると、一体ぜんたい先生の何がてぇして立派なんだか、俺にゃさっぱりわかんねぇずら」

要は「お前なんぞてぇしたこたぁねぇ」と言ってるのと同じで、随分な挨拶もあったものです。
普通ならここで怒り出すなり絶交なりするものですが、鉄舟は「次郎長ほどの人物が言うのだから、そこに教訓があるはずだ」
と、謙虚になってその理由を尋ねると、

「俺ぁ先生の書いて寄越す手紙がいっさら読めねえずら。まぁ学のある先生のこったからありがてぇ文句でも書いてあんだ
ろうが、難しい言葉を丸呑みにして言うなら九官鳥だって出来るじゃんけ・・・相手が読めねぇようなモン書いて寄越す人間
が立派とは、俺にゃどうしても思えねぇずら」

そう聞いた鉄舟は、深く感じ入ったそうです。

自分は永年にわたり学問を修め、剣、禅、書など弛まぬ精進を重ねて来た・・・そんな「高尚さ」に対して、無意識に驕りが
あったことを、鉄舟は自覚させられたのでした。

智慧も知識も世のために役立たなければ何の価値もないように、言葉は相手に伝わらなければこれまた無意味な呪文に過ぎない。

そう悟った鉄舟は、以来自らの学問や教養をひけらかすことなく、何事も「相手が理解できる様に、意味が伝わるように」
こころがけたそうです。
次郎長への手紙もひらがなが多く、シンプルな文言でか書かれるようになったと言うことです。

私自身も学のない人間ですが、つい知っていることや人にできなくて自分ができることをひけらかすこともあります。
鉄舟ほどの偉人が元アウトローの次郎長ごときのことばに自覚させられるとは、鉄舟と言う人物なかなかの賢者だと痛感
させられた文章でした。


※参考文献:黒鉄ヒロシ『清水次郎長 上』