次 郎 長 の 家 系 図

次郎長の跡目は大政もしくは小政が次ぐ予定でしたが、

小政は32歳の若さでなくなり、大政は富士裾野開墾の

指揮を取っていたが、51歳で亡くなりました。

任侠の世界から足を洗ったころの次郎長の家に

山本五郎(本名 天田五郎)が山岡鉄舟の依頼

で預けられ清水一家の子分たちと生活をするよう

     

になり戊辰戦争で行方不明になった兄や妹の行方を

 

次郎長の博徒のネットワークで探してもらう

 

事となりました。

 

生活を共にするうち、次郎長本人や子分たちから

 

聞いた話をまとめ「東海遊侠伝」を執筆しました。

東京では写真家の弟子入りしていたが、急遽帰ってきて

 

大政に変わり富士裾野の開墾の指揮を取り、名前も

 

山本五郎と名乗り次郎長の養子となりました。


次郎長没後、大政の孫が二代目清水次郎長を宗名し、

益川仙右衛門の孫が三代目、その子が四代目、

五代目で昭和41年に警察署長立ち会いのもと、

清水一家は正式に解散しました。


解散理由は「世間で暴力団と言われるようじゃ、次郎長親分に顔向け出来ない。」ということでした。

     

以後「清水一家」を名乗る団体はありません。


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